自分を肯定するための心理学

陰キャでもいいじゃない
生老病死。愛離別苦。どこで暮らしていても、苦しさやどうしようもなさに囲まれているのが人生かもしれません。私は、「本当は人生に目的はない」ということを認めてみた上で、仮の目的や意味を作り出して、ユーモアで演出してみることにしました。真面目一辺倒だと、このあたりを理解するのに時間がかかります。希望や目的は最初からどこかにあって、隠されていたり、見つけにくかったりすると思いがちだけど、最初からあるわけではなさそうです。悲しみを忘れるのではなく、つらさを打ち消すのではなく、忘れられないことを引き連れていくしかないのかもしれません。でも、そうやってしばらく歩いた時、悲しみはゼロにはならないけれど、心配はつきないけれど、悲しみにも意味があることに、暗闇にも意味があることに、ふと気づき、悲しみと一緒に歩んでいけるときがくることを想って。

悲しみの罪悪感と現実検討
私たちは、物事を見るとき、自分のフィルターを通して理解しています。この物事の捉え方が偏っていたり、不合理であったりする場合に、罪悪感や自責感に過剰に苦しむことがあります。その場合には「現実検討」というプロセスで、物事の捉え方を見直すことが有効です。

家族を自死でなくした苦しさを見つめる心理学
令和3年中に自死で亡くなる方は21,007人(厚労省・警察庁, 2022)でした。ご本人の苦しみは想像もつかないものでしょう。本当につらいと思います。そして、亡くなられた方には、ご家族や友人がいることでしょう。自死はご家族や友人の方々にとっても言葉に言い表せないほど悲しく苦しいものです。今回は身近な方を自死でなくされた苦しさを一緒に見つめていきたいと思います。

「曲がった線」の罪悪感をいやす心理学
「神は曲がった線で正しく書く」というポルトガルのことわざがあるそうです。 自分の思い通りにならないとき、「自分が生きていく」から「自分は生かされている」に視点をずらせたら、そして、自分の思いを少しだけ脇に置いて、生かされている今に身を任せてみることができたら、ちょっと生きるのがラクになるかもしれない。そんな自己の実現のなされ方もあるかもしれない。 そう思って今回のコラムを書きました。

「パンを踏んだ娘」の罪悪感を癒やすヒント
罪悪感があると、自分が悪いんだから、自分のせいだからと、投げやりになったり、あきらめがちになってしまいます。自分を責めて、自分を罰してしまうわけです。何もやる気がなくなってしまうのも、建設的に生きることをせず、自分のことを大切にできていないわけです。自分の悪い面ばかりに目がいき、自分の救いに希望が持てないのです。そんなときにヒントになるのが、アンデルセン童話の「パンを踏んだ娘」です。今回は、この「パンを踏んだ娘」から、罪悪感を癒やすヒントを学んでいきたいと思います。

自分だけ悩みから解放されることによる罪悪感を癒やす心理学
山下公園は、1923年の関東大震災によるがれきを埋め立てて、作られた公園だそうです。自分の人生を前に進めるとき、自分だけ先に進んでいいものかと罪悪感を感じることがあるかもしれません。自分だけがラクになったら悪い気がする、自分だけが解放されていいものだろうか、と悩んでいるかもしれません。でも、前に進むことは、本当の意味でその人やその出来事を忘れたり、ないがしろにするわけではありません。思い出の箱に入れて、必要な時に取り出しているのです。大切なことが自分の一部になっています。今の人生で、その想いや学びが生かされています。

感染の罪悪感を手放す心理学
結核にかかった私の経験から、感染の心理学と罪悪感の手放し方について、書きました。

戻ってやり直すことで自責感を手放す
私たちが物事をとらえるとき、「認知の歪み」があると、「自分は、なんで分からないんだろう」、「自分は、なんでできないんだろう」と、自分を責める思考に陥りやすくなります。でも、そんなときに自分を責めるよりも大事なことがあります。

休むことの罪悪感を手放すには?
今回は、休むこと(有給休暇、休職、早退など)にまつわる罪悪感を手放すお話をします。自分が何でも全てをやらなければならない段階から、組織や周囲の方々に信頼して任せること、そして、委ねることが必要な段階に来たのかもしれません。長期的な視点で、自分にも配慮するような思考や働き方に改めてみましょう。

罪悪感を手放すには、育った環境を振り返ってみる
親は親の人生があって、子どもには子どもの人生があります。子育ては、子どもを成功させることではないようです。親の期待に応えられなかったとしても、罪悪感は感じなくていいのです。

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