「パンを踏んだ娘」の罪悪感を癒やすヒント

 

 

 

こんにちは。

 

 

 

カウンセラーの河野です。

 

 

 

今回は、アンデルセン童話の「パンを踏んだ娘」から、罪悪感を癒やすヒントを学んでいきたいと思います。

 

 

 

それでは、さっそくはじめましょう。

 

 

 

 

 

「パンを踏んだ娘」という童話を知っていますか?

 

 

 

私は、小さい頃にテレビで見て、印象的な歌とその童話の過激な内容に、衝撃を受けた記憶があります。

 

 

 

「パンを踏んだ娘」のお話は、このような内容だったと思います。

 

 

 

ある女の子のお話です。

 

 

 

一斤のパンを持って、お使いから家に戻る途中でした。

 

 

 

歩いていると、大きな水溜り(沼?)にさしかかりました。

 

 

 

女の子は、くつが汚れるのが嫌だからと、持っていた一斤のパンを水溜りに置いて、そのパンを踏んで水溜りを渡ろうとします。

 

 

 

足をパンにかけると、女の子は、ズブズブと水のなかに沈んでしまい、地獄に落ちてしまうというお話でした(ここで流れる音楽が衝撃的でした)。

 

 

 

当時は、童話から学ぶべきこととして、「食べ物を粗末にしてはいけないよ〜」とか、「親(または奉公先の主人?)の言うことはよく聞こうね〜」という教訓なのかなと思っていました。

 

 

 

それにしても、「パンを踏んで地獄に行くって、結構激し過ぎるんじゃないかな〜」とも思っていました。

 

 

 

それ以来、うっかりパンを落としてしまったとき、間違って食べ物を踏んでしまったときは、この音楽が自分の頭のなかに流れたものでした。

 

 

 

 

 

大人になってから、この「パンを踏んだ娘」(別の著者による再話でかつ翻訳ではありますが)を読んでみました。

 

 

 

すると、なんと続きがありました。

 

 

 

地獄に行くことになったその女の子(インガという名前でした)は、地上でパンを踏んだという行為の報いとして、さまざまな苦しみを受けなければなりませんでした。

 

 

 

蜘蛛の糸で体を縛られ動けなくなったり、足からパンが抜けなくなって歩けなくなったりしました。

 

 

 

さらに、『ひどい子だもん、罰があたってあたりまえさ』などのように、地上でインガを叱責したり非難したりする声が聞こえてきます。

 

 

 

それでも、インガは言い返したり、泣いたりすることもできないようです。

 

 

 

 

 

因果応報、勧善懲悪の世界ですね。

 

 

 

当然のことながら、現実の世界はもっと複雑なのですが、心理学では、因果応報や勧善懲悪という認知や考え方は、公正世界仮説というテーマで論じられることがあります。

 

 

 

「正義は勝つ」とか、「悪いことをすればその罰が当たる」とか言った信念のことです。

 

 

 

公正世界仮説は、他のコラムでも取り上げたことがありますが、奥が深いです。

 

 

 

人間にとって基本的・根源的な信念のようです。よくも悪くも。

 

 

 

この信念がよく作用することもあれば、悪く作用してしまうこともあるわけです。

 

 

 

例えば、子どもに道徳を教えるとき、そして未来を見据えるときは有効です。

 

 

 

だからこそ、私が小さいときに見たテレビ番組では、パンを踏んで地獄に落ちる場面で物語が終わっていました。

 

 

 

ただし、間違ったことをした後に、罰を与えて終わりでは、癒やしや立ち直りには至らないのかもしれません。

 

 

 

不健全な自責というのは、事前における禁止(してはいけない)や義務(しなければならない)を事後になっても、自分に対して、ずっと抱え込み過ぎてしまうこととみることもできます。

 

 

 

落ち込んでしまったり、失敗してしまったときには、特に自分を責めてしまう傾向があるとき、この原因と結果の悪循環を抜け出す必要があります。

 

 

 

だから、アンデルセンは地獄に落ちたところで物語を終わりにしなかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

話を童話に戻しますね。

 

 

 

インガはパンを踏んでしまったために、地獄に落ち、苦しみのなかにいます。

 

 

 

しかし、そんなインガなのに、いや、そんなインガだからこそ、インガのことを心配してくれる女の子がいました。

 

 

 

たったひとりですが、いました。

 

 

 

インガのことを否定せず、心配してくれて、祈ってくれるのです。

 

 

 

『小さな無邪気な女の子が泣きながらインガのために祈ったんだ』

 

 

 

最後には、その祈りが通じて、インガは鳥になって地上に戻ります。

 

 

 

 

 

罪悪感を癒やす心理学も同じです。

 

 

 

罪悪感があると、自分が悪いんだから、自分のせいだからと、投げやりになったり、あきらめがちになってしまいます。

 

 

 

自分を責めて、自分を罰してしまうわけです。

 

 

 

何もやる気がなくなってしまうのも、建設的に生きることをせず、自分のことを大切にできていないわけです。

 

 

 

自分の悪い面ばかりに目がいき、自分の救いに希望が持てないのです。

 

 

 

このようなとき、たった一人の女の子が祈ってくれたように、自分のことを祈ってくれる誰かの存在を思い返すことが立ち直るきっかけになるのではないでしょうか。

 

 

 

なかなか、自分が愛されていることに気づかず、そして、受け取れないかもしれません。

 

 

 

なかなか自分のことを信じられないかもしれません。

 

 

 

自分を受け入れられないかもしれません。

 

 

 

私もそうでした。

 

 

 

それでも、小さな無邪気な女の子のように、祈り、思いやってくれる人がいるのです。

 

 

 

 

 

童話の最後では、鳥になったインガは、パンくずを集め、他の鳥たちと分かち合ったということです。

 

 

 

 

 

参考文献・URL

● アンデルセン著、イェンス・アナセン編、福井信子・大河原晶子訳 「本当に読みたかったアンデルセン童話」 NTT出版 2005

 

● Wikipedia contributors. (2022, June 11). 公正世界仮説. In Wikipedia. Retrieved 05:34, July 14, 2022, from https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%AC%E6%AD%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%AE%E8%AA%AC&oldid=89969023