自分だけ悩みから解放されることによる罪悪感を癒やす心理学

 

 

 

 

先日、横浜にある山下公園を通りかかりました。

 

 

 

公園は、多くの人で賑わっているようでした。

 

 

 

近くの会場では、イベントも行われていました。

 

 

 

 

 

1923年に関東大震災がありました。

 

 

 

このコラムを書いているのが、2022年6月です。

 

 

 

今から99年前のことです。

 

 

 

関東大震災は、昼時の地震だったそうです。

 

 

 

そのため、火災で多くの方々が犠牲になられたことをご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

 

山下公園は、この時の震災によるがれきを埋め立てて、作られた公園だそうです。

 

 

 

99年経った今、公園にいるどれほどの人が、そのことを意識しているでしょうか。

 

 

 

残っているけれど、一見すると気がつかないようなこと。

 

 

 

それは、この山下公園だけではないでしょう。

 

 

 

もちろん、ひとつの出来事だけでなく、多くの教訓の積み重ねではありますが、

 

 

 

まちづくりや建築、法律そして制度など、暮らしのさまざまなところに、その教訓が残こされ、生かされていることでしょう。

 

 

 

 

 

罪悪感を癒やす心理学にも通じるところがあると思います。

 

 

 

ある出来事があって、自分が悪いと思い、自分のことを責め続けている。

 

 

 

でも、自分の人生を前に進めるとき、自分だけ先に進んでいいものかと罪悪感を感じることがあるかもしれません。

 

 

 

だから、ふとした瞬間に、また自分を責めるのかもしれません。

 

 

 

でも、それは本当の意味でその人やその出来事を忘れたわけではありません。

 

 

 

思い出の箱に入れて、必要な時に取り出しているのです。

 

 

 

そのような作業ができるようになったということだと思います。

 

 

 

自分だけがラクになったら悪い気がする、自分だけが解放されていいものだろうか、と悩んでいるかもしれません。

 

 

 

忘れたいほどつらいけど、忘れるのはつらいのです。

 

 

 

だから自分を責めて、自分も一緒にずっと苦しまなければならないと思うかもしれません。

 

 

 

 

 

でも、本当にそうでしょうか。

 

 

 

これまでずっとつらかったのではないでしょうか。  

 

 

 

でも、相手は本当にあなたがつらい思いを抱えることを望んでいるでしょうか。  

 

 

 

 

 

「スーホの白い馬」という絵本はご存知の方も多いと思います。

 

 

 

白い馬が息途絶えた後、スーホの夢に現れて、こう言います。

 

 

 

『そんなに、かなしまないでください。それより、わたしのほねや、かわや、すじやけを使って、がっきを作ってください。そうすれば、わたしはいつまでもあなたのそばにいられます。あなたをなぐさめてあげられます』

 

 

 

白い馬は、楽器となり、そして音色となって、スーホと共にあります。

 

 

 

大切なことが自分の一部になりました。

 

 

 

 

大事な存在が生きていて、共に生きているのだと思います。

 

 

 

答えのない問いなのかもしれません。

 

 

 

でも、自分なりの一歩を創っていくことはできるのかもしれません。

 

 

 

 

 

引用および参考文献

・関東大震災の震災復興事業で生まれた臨海公園

https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/koen/koen/daihyoteki/kouen008.html

・大塚勇三 再話、赤羽末吉 画 「スーホの白い馬」 福音館書店 1967年