悲しみの罪悪感と現実検討

 

 

 

「したこと」や「しなかったこと」で自分を責めていませんか?

 

 

 

「〜すればよかった」「〜しなかったのは、自分のせいだ」

 

 

 

「〜しなければよかった」「〜してしまった自分がわるい」

 

 

 

このような悲しみの罪悪感があるときには、「現実検討」という手続きが役に立ちます。

 

 

 

J・W・ウォーデン(2011)では、「罪悪感のほとんどは不合理な認知で、実際はどうであったかの「現実検討」(reality testing)をすることによって軽くなる」としています。

 

 

 

私たちは完璧ではあり得ません。

 

 

 

繊細な方の場合、間違いを自分のせいかもと思うことがあるでしょう。

 

 

 

真面目で頑張る方の場合は、「もっと何かやれたはずだ」、「できなかったのは自分がわるい」と思う傾向があります。

 

 

 

このように、自分を責めてしまうことがよくあります。

 

 

 

 

 

私自身、20代の時、恋愛で相手を傷つけたと思い、何も手につかなくなったことがあります。

 

 

 

うつ状態になってしまいました。

 

 

 

いろいろなところに行って相談しました。

 

 

 

なかでも、クリニックに併設されている臨床心理士の先生に話を聴いてもらったことが印象に残っています。

 

 

 

その先生に、「恋愛の責任は半分半分でお互いにあるから」と言われたのです。

 

 

 

それまで、自分が全部わるいと思っていた私は肩の荷が少しだけ下りたような気がしました。

 

 

 

 

 

現実検討とは、自分自身や自分のしたこと、相手や相手のしたことを現実的に再認識することです。

 

 

 

自分や相手を現実的に過不足なく理解することです。

 

 

 

確かに、自分は相手を傷つけてしまったけれど、それだけではないと捉え直すことができました。

 

 

 

人間は物事を評価するときに、いいかわるいか、善か悪かというように、白黒つけたがるものです。

 

 

 

よいこと・そうでないことの両方を同時に認識するには、成熟さが必要なのでしょう。

 

 

 

また、当時の私の考え方は柔軟性に欠けていて、偏りがあるとわかりました。

 

 

 

このように認識して始めて、現実的に理解したと言えるのだと思います。

 

 

 

 

 

だから、自分を責めてつらいときには、自分は合理的に理解しているのかを一度整理して考え直してみることをおすすめします。

 

 

 

自分に完璧さを求めていないか。

 

 

 

自分や相手に過度の期待や理想をもっていないか。

 

 

 

自分のよさを認めることは、エゴイズムではありません。

 

 

 

自分で責任をすべて負おうとするのは、逆に思い上がった背負った考えかもしれません。

 

 

 

自分を卑下するわけでも、過信するわけでもなく、現実的にみること。

 

 

 

この「現実検討」を通して、適切な罪悪感は受け止め、不適切な罪悪感を見直すことで、見えてくる何かがあると思います。

 

 

 

 

 

参考文献

・J・W・ウォーデン 著 山本力 監訳 上地雄一郎・桑原晴子・濱崎碧 訳 2011 悲嘆カウンセリング ―臨床実践ハンドブック 誠信書房

 

・山本力 2014 喪失と悲嘆の心理臨床学 ―様態モデルとモーニングワーク 誠信書房