できたことだけでなく、やってみたこともほめよう

 

 

 

子どもが通う保育園に、ひな祭りの作品が飾られていました。

 

 

 

私の子ども(男の子)の作品は、おひなさまがお内裏さまの隣ではなく、ちょっと上に出ていました。

 

 

 

お手本通りにできておらず、また、他のみんなの作品とちょっと違いました。

 

 

 

それでも、我が家をイメージしてしまうような配置に、いいなと思ってしまいました。(実際は別のことを考えて作っていたのかもしれませんが・・・)

 

 

 

ほめるのが難しいと思うときは、どんなときでしょうか。

 

 

 

うまくできていないから、ちゃんとできていないからと、できていないことに目が向いてしまいがちです。

 

 

 

できるようになってほしい、上手にできてほしいと思うあまり、「足りないところ」や「間違っているところ」に目がいってしまうのです。

 

 

 

自己肯定感が低いと、ついこうした「足りないところ」、「間違っているところ」を見て、ダメ出しが始まってしまいます。

 

 

 

認知心理学では、こうした状況を観察者バイアスで説明することがあります。

 

 

 

つまり、観察者(この場合は親)が期待する情報や知りたい情報ばかりに焦点が当てられ、それ以外にはあまり注意が向かなかったり、軽視してしまうのです。

 

 

 

99点だった場合、できた99点の解答ではなく、できなかった1点の解答に注意が向くのですね。

 

 

 

そんなとき、ダメ出ししても、小言を言っても、あまり効果がないことは、よくわかっていると思います。

 

 

 

それでもついつい言ってしまう。

 

 

 

そして、親子で険悪になったり、子どものやる気をなくしてしまったりしてしまう。

 

 

 

しまいには、「なんであんなに怒ったんだろう」の自己嫌悪。

 

 

 

もう何度繰り返したことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

そんなときは、もう、結果ではなくプロセスをほめるようにしたいものです。

 

 

 

プロセスとは、過程です。

 

 

 

このコラムを読む方であれば、過程をほめることくらいは知っているよと思われるかもしれません。

 

 

 

努力の過程をほめるのでしょう?と。

 

 

 

努力の過程をほめることは素晴らしいのですが、今回はもっとハードルを下げましょうよというわけです。

 

 

 

「やったこと」をほめましょうと。

 

 

 

できなかったとしても、よくぞ挑戦したね。

 

 

 

やってみようとチャレンジしたんだね。

 

 

 

テストを頑張って受けたね。

 

 

 

返却されたテストを見せてくれてありがとう。

 

 

 

これまで勉強を一生懸命よくがんばったね。

 

 

 

問題をよく読んで取り組んだね。

 

 

 

わからなくても、やってみて書いてみたんだね。

 

 

 

勉強や習い事というのは、ちょっとした心理的なハードルはありますから。

 

 

 

また、ほめるときにどうほめればいいか悩む原因の一つに、どうほめたら今後伸びるのかと欲が出てしまうことです。

 

 

 

これからのことは、きっとできるようになるさと信じましょう。

 

 

 

ほめるのは、「今」と「今まで」に焦点を当てた方がスッキリします。

 

 

 

そして、何より、ダメ出ししなかった親自身を自分で褒めてあげてください。

 

 

 

よく見守った。

 

 

 

本人の意思を尊重した。

 

 

 

興味がなさそうなのであれば、この分野は興味がないのだとわかった、これからは最低限できればよしとして、他の本人が興味がある分野に協力することにしよう。などなど。

 

 

 

こうした見守りが、本人を信頼したことにつながるのですから。

 

 

 

見守ることで、本人の自主性を尊重したということですから。

 

 

 

きっと、お父さんやお母さんで、自分の仕事を犠牲にしたり、自分の時間を犠牲にして子育てをしている・せざるを得なかったと思う方々もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

そんな親御さんだからこそ、ちゃんと子育てしなければ、自分のキャリアを無駄にした甲斐がないと思って、人からみてどう思われるかが軸になった子育てになりがちです。

 

 

 

バカにされたくない、見返したいとかっこつけてしまう。

 

 

 

自分の子どもは心配なところがあるから、この先困らないように、色々と準備しなければと思ってしまう。

 

 

 

だから親はついつい頑張ってしまう。

 

 

 

そんな自己犠牲は尊いかもしれないけれど、それでは子どもも親も息が詰まってしまいます。

 

 

 

こうでなければならないという「答え」はないのですから。

 

 

 

親である自分も、そして子どもたちも信じて、「ちゃんと」よりも「楽しむ」子育てができるといいなと思います。

 

 

 

 

 

参考文献

・成田奈緒子(2023) 高学歴親という病 講談社+α新書