罪悪感からの自責という思い込み

 

 

 

罪悪感を引きずってしまう。

 

 

 

完璧主義的、強迫的な傾向の方に

 

多いと思います。

 

 

 

私がそうでした。

 

 

 

小さい頃から

 

責任感を大事にしていたり、

 

人に迷惑をかけてはいけないと

 

思っていたりすると、

 

「ちゃんと」しなければいけない

 

と思ってしまいます。

 

 

 

つまり、

 

「悪いことをした者は、

 

(罰せられなければ)幸せになってはいけない」

 

そうなりがちです。

 

 

 

でも、

 

生きるって、勧善懲悪ではありません。

 

 

 

叩いて直ったり、

 

責めて改善したり

 

するのでしょうか?

 

 

 

そもそも、

 

「人に迷惑をかけずに」とかって

 

無理なんじゃないか。

 

 

 

食事だって、生き物の「いのち」を食べていたり、

 

日々、誰かの迷惑をかけずには、

 

生きることはできません。

 

 

 

でも、自分自身が

 

許しや許されていることを

 

受け入れていくことが難しいですよね。

 

 

 

こうあるべきだと思っていた自分。

 

 

 

でも、そうできなかった自分。

 

 

 

そのことを受け入れることは、とても難しい。

 

 

 

期待や理想を手放すと、

 

自分が自分でなくなるかもしれない、

 

そんな怖さがあるかもしれません。

 

 

 

でも、

 

それは、誰の期待だったのでしょうか?

 

誰の理想を、自分の理想と思っていたのでしょうか?

 

 

 

自分を傷つけてしまうほどの理想や期待は、

 

自分にとって、握りしめて離してはいけないほど

 

大切なものなのでしょうか?

 

 

 

善と悪だけでない多様な価値観を見つけること、

 

心の器を広げること、

 

そのためには、時間が必要です。

 

 

 

今はそのプロセス、旅の途中なのです。

 

 

 

焦らないでください。

 

 

許されていい。

 

許されている。

 

もういいんだ。

 

 

 

時には、

 

気にしたり、思い出すことがあることでしょう。

 

 

でもその度に、ご自分を責めたり、

 

傷つけるのは、もうやめましょう。

 

 

 

ただ思い出して、ただ手放せるように。

 

 

 

そして、

 

ひとりで頑張らなくていいと思えるように。

 

 

 

自分に対しても、

 

評論家やコメンテーターのように

 

勧善懲悪になっていないかどうか

 

振り返ってみてはいかがでしょうか。