「基礎が大事」
よく言われるこの言葉。
わかってはいるけれど、忘れやすい言葉ではないでしょうか。
まして、自分以外の子どものことだとなおさらなのかもしれません。
それでも、昔から「千里の道も一歩より」「砂上の楼閣」と言われてきました。
それに、バスケットボールでも、算数でも、どんな分野においても、基礎からの積み重ねって、大切ですよね。
どんな分野にも通じる言葉です。
この前、子どもの勉強を見ていた時のことです。
「なんでこんなことがわからないの」と少しイライラしてしまったことがありました。
親の視点だけから見ていました。
子どもの立場に立って、みることを忘れていたのです。
実際のところ、親がやらせたいだけなのかもしれないなのに、
親の教え方が良くないだけなのに、
子どもが経験する機会を親のわたしが十分に提供できていないだけなのに、
子どもの不機嫌な様子って、なんだか親のダメさを指摘されているように思ってしまうんですよね。
それに、子どもの苦手な分野だったのかもしれません。
あるいは、子どもにとって、問題のレベルが高すぎたのかもしれません。
いずれにしても、反省しきりです。
心理学で、「発達の最近接領域」という概念があります。
ヴィゴツキーという心理学者が提唱しました。
「発達の最近接領域」というのは、
子どもの知的発達の水準について、
自力で問題解決できる現在の発達水準と
他者からの援助や共同によって達成が可能になる水準の
二つの水準があると考えます。
そして、この二つの水準の間の範囲を「発達の最近接領域」と呼びました。
たしかに、
現在、自分ひとりで、(A)ができるとしましょう。
そして、だれかに手伝ってもらったら、(A’)という範囲のことができます。
また、だれかと一緒に協力すれば、(A’’)という範囲のことができます。
そんなことってありますよね。
この理論でおもしろいのは、この理論から意図されるのは、
ひとりでできる範囲を拡大していくことだけが目的ではなさそうだということです。
だれかに手伝ってもらうことで、(A’)ができるようになった。
だれかと一緒に取り組んで、(A’’)ができるようになった。
これらは、もはや(A’)や(A’’)ができるということ以上のものではないでしょうか。
なぜなら、他者に頼むという経験、他者と協力してできた喜びを分かち合う経験をも含むからです。
自分ひとりでできるようになること、それだけが唯一の答えではありません。
そこが、社会や文化が認知に影響すると考えた、ヴィゴツキーらしい理論と言えるのかもしれません。
先日の子どもの勉強を見ている時に、わたしに必要だったのは、
子どもの「発達の最近接領域」を見定めながら、
その子に合った関わりをしていくことだったのです。
「発達の最近接領域」に働きかけるような「足場かけ」(心理学者ブルーナーによる)が必要でした。
それは、わかるところまで戻ったり、わかるところまで単純化することだったり。
それも、一回だけ見定めればそれで終わりというものではなく、必要に応じて見極めていく必要がありそうです。
難しい問題、学年の先取りという進度の速さだけに意味があるわけではありません。
子どもの「発達の最近接領域」を意識することは、本当の意味での寄り添いにつながると思ったのでした。
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