子育てをする前に役に立ってきたことが、子育てにおいては役に立たなくなることがあります。
その一つは、「勝つ」ということです。
子育てのなかで、子どもに教えようとか、正しく伝えようとすると思います。
そのとき、親である自分は何でも知っていなければならない、何でもできなければならないと思いがちです。
しかし、実際には子どもから教えられること、子どもから学ぶこともまた多いと思います。
親として教えようとすること、親としての力を示そうとしてしまうこと、
それらと、子どもに勝たせてあげること、子どもから学ぶこと、
実はこの両者のバランスをとることが重要になってきます。
そのバランスをとった中間に楽しさがあるようです。
ところが、そのバランスをたびたび見失ってしまうことがあります。
私もよくあります。
ちゃんと教えようとして完璧主義になってしまい、些細なことまで注意してしまう。
食事の時に、全部食べること、完食すること、残さないことに気をとられて、好きな食べ物を味わって食べること、楽しい会話を台無しにしてしまう。
時間を守ろうとして急ぐあまり、子どもの楽しい寄り道やちょっとした発見を軽視してしまう。
スポーツを一緒にしていて、いつの間にか、子どもが楽しむことより、自分の運動不足の解消をしてしまっていたり。
数えたらキリがありません。
ペック(2004)は、「愛と心理療法」で、このように言っています。
『バランシングというこの自制の本質は、「諦めること」である。』
また、『バランシングとは、融通性を身につけるための自制である。』
このバランシングとは、バランスをとる、釣り合いを保つということですね。
私にはこんな経験もありました。
ある日、公園で子どもとすもうごっこをしました。
芝が少し濡れていて、ズボンを湿らせたくなかったり、
こうやって組むんだよとちゃんと教えたかったり、
子どもが勝つ機会をほとんど与えてあげませんでした。
公園からの帰り道、子どもは、「なんで勝つの?」、「(ぼくが)勝ちたかった」と、少し不機嫌でした。
ペック(2004)は、「愛と心理療法」で、バランスをとることの難しさをこう語っています。
『バランスをとることが自制にほかならないのは、バランシングのため、何かを手離すのが辛いからである。』
さらに、『子どもの時、ゲームに勝ちたい私の気持は役に立っていた。しかし親として、それが邪魔であることに私は気づいた。だからそれは消えなければならない。時が変わったのである。時と共に進むために、それは諦められねばならなかった。』
今まで役に立ってきたことが、ある時に役に立たなくなることがあります。
「勝つこと」は、役に立ってきました。
相手に教えるために「できること」を示したり、勝つことで自分の強さを示すことが役に立ってきました。
でも、子育てでは正しさや強さは役に立たないこと場合もあります。
それを手離す必要に気づいて、実際に手離すことが求められる場面があります。
子どもにとっては、正しさや強さは、突き放されたと思ったり、寄り添ってもらえていない感覚になるからです。
負けることにも価値があります。
教えようとして、あるいは正しい見本を示そうとして、勝つほどに深刻にやる必要がない時もあります。
子どもと目線を同じにして一緒に楽しむこと。
子どもに自己効力感を感じてもらうこと。
思い出を作ったり、また遊びたいと希望や見通しを感じてもらうこと。
それらの方が大切でした。
いつも教えなければいけないと思う必要はないのかもしれません。
子どもは何かしら学んでいるものです。
子育てでは、より大切な何かを得るために、負けること、諦めることが必要な場面があるようです。
【参考文献】
M.スコット・ペック著 氏原寛・矢野隆子訳 2004 愛と心理療法 創元社
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