長男教による罪悪感

 

 

 

「長男だから、親と同居しなければならない」

 

「長男の嫁だから、親の世話をしなければならない」

 

 

 

こうした言説を

 

長男教とか、長男病と言うそうです。

 

 

 

日本での結婚は、

 

特に妻にとっては、

 

家に入るとか、

 

夫とっては嫁を迎えるとか

 

家が中心になっていました。

 

 

 

嫁という言葉というのは、

 

親から見た妻のことであり、

 

嫁(ヨメ)と書いて、嫁(とつ)ぐと読むのですから、

 

根深いですよね。

 

 

 

嫁という言葉の背景に、

 

男、そして男の親が見え隠れします。

 

 

 

このような漢字が意味するほどに

 

私たちの心に無意識に浸透しているのかも

 

しれません。

 

 

 

しかしながら、

 

本来的には、結婚すると、

 

親の戸籍からは離れて、

 

独立するわけです。

 

 

 

また、

 

責任や義務は兄弟間での分割です。

 

親の世話は実子が対応することで、本来的には、

 

妻が義親に対応しなければならないわけではないと

 

思います。

 

 

 

この背景に、

 

長男が監督で、長男の嫁が実行部隊だという

 

暗黙があるような気もします。

 

 

 

まずは、

 

独立した家庭を基本に考えるのが自然だと

 

思いますし、

 

 

 

同居することだけが

 

親孝行というわけでなく、

 

連絡、外出、病院の付き添いなど、

 

何かしらの必要な機会に

 

サポートを積み重ねることも

 

できるでしょう。

 

 

 

こうした理解をしていくと、

 

長男教という呪縛にかかっていることが

 

わかってきます。

 

 

 

「長男だから同居をしなければならない」という教えに

 

囚われるあまり、

 

親孝行をするために、

 

独立した自分の家族を軸に考えられなくなったり、

 

結婚がダメになったり、

 

親との縁が切れてしまったり、

 

してしまう恐れがあります。

 

 

 

そうではなくて、

 

長男教という呪縛にかかっていることを理解して、

 

同居という完璧主義に陥らずに

 

地道な解決策を模索して積み重ねることが

 

必要なのかもしれません。

 

 

 

そしてそれでいいのだと思います。

 

 

 

親が決めた結婚や見合い結婚から恋愛結婚へ

 

家督相続から遺産相続へ

 

三世代家族から核家族へ

 

変わっています。

 

 

 

制度や形態が変わっても、

 

家族という世代を超える価値観は、

 

以前の名残を持っているため、

 

過去・現在・将来という時代の中で生きていることに

 

自覚的になる必要がありそうです。

 

 

 

◼︎参考文献

呀沙迦志龍 著 中年夫婦の人生残りターン「同居!嫌だ・したくないなら“長男教”の洗脳を解くことが鍵!」 2020年8月4日閲覧