自分で選択することに罪悪感

小学生の頃、

 

学校のサッカークラブに

 

入っていました。

 

 

 

練習は、週三日、朝と放課後に

 

ありました。

 

また、日曜日には、

 

試合がありました。

 

 

 

サッカーのうまい憧れの先輩や

 

仲のいい友達と充実した

 

時間を過ごしていました。

 

 

 

ところがある日、

 

父親が、

 

塾に申し込んできたと言います。

 

 

 

「申し込んできた」そう、過去形です。

 

本人に何の相談もなく、合意もなく、

 

「中学受験のために通え」とのことです。

 

 

 

それはつまり、

 

「サッカークラブは辞めろ」

 

ということでもあります。

 

 

 

私は泣きました。

 

 

 

母親にも説得され、

 

サッカークラブを辞め、

 

塾に行きました。

 

 

 

それは、両親の仲は、

 

うまくいっていないようで、

 

もし、僕が悪い子だったら、

 

お母さんもがっかりするだろうと

 

思ったからです。

 

 

 

振り返ると、このことは、

 

自分で決めたことを諦めることだったり、

 

自分で選択する機会を失うことだった

 

のではないか、と思う経験でした。

 

 

 

父は、よかれと思って

 

勝手に申し込んだのでしょう。

 

 

 

いい学校、いい大学に行って、いい職業に就く。

 

 

 

それが、その頃の成功のモデルです。

 

伝統芸能や世襲の職業でも、

 

大成している人はいますから。

 

 

 

最初はやらされても、

 

最終的に自分が決めたという感覚があれば、

 

自分の事としてやっていけるのでしょう。

 

 

 

でも、その当時の自分は、

 

そこまでの感覚を持てませんでした。

 

 

 

心理学では、

 

エリクソンの8つの発達段階説があります。

 

 

 

そのなかで、

 

「幼児期後期の発達課題」は、

 

「自主性(自発性)対 罪悪感」です。

 

 

 

つまり、自主性の獲得が、この時期の発達課題です。

 

 

 

この課題を乗り越えられないと、

 

自発的にやることに対して、

 

罪悪感をもつようになる、という説です。

 

 

さらに、

 

発達課題を乗り越えられないと、

 

後々まで、その課題を背負うとも言います。

 

 

 

私もそうだったのでしょう。

 

 

 

自分のやりたいことを

 

することに罪悪感を持っていました。

 

 

 

やりたいことをやると、

 

あの人に悪い気がするから、やめておこう。

 

 

 

自分ではこれを選択したけど、

 

あの人に迷惑かかるから、やめておこう。

 

 

 

自分は、選択したり決断したりするのが苦手でした。

 

部活動、高校、やるスポーツ、勉強する科目など。。

 

ほぼすべての選択において、

 

選択する前は、優柔不断に陥り、

 

選択した後は、後悔しました。

 

 

 

正直、自分で決めたはずなのですが、

 

その感覚がありません。

 

 

 

それに、

 

自分は、周囲の状況、人の顔色を見て、

 

やることを決めていた、いわゆるいい子でした。

 

 

それでは、

 

これらの発達課題を乗り越えないと、

 

取り返せないものなのでしょうか。

 

 

 

小さい頃の経験は

 

乗り越えられないのでしょうか。

 

 

 

そんなことはありません。

 

 

 

ユングの発達理論では、

 

中年期の転換に着目しています。

 

 

 

それは、

 

人生の前半で、できなかったこと、見過ごしてきたものを

 

成人期、中年期で統合していく、

 

「個性化」という考えです。

 

 

 

 

 

 

自分で決めることに

 

罪悪感を持ってしまう人は、

 

今からでも遅くありません。

 

 

 

少しずつ、

 

可能な範囲から、

 

始めてみてはいかがですか?

 

 

 

 

私も経理職からカウンセラーに

 

なりましたから。