暗く哀しくそして有限であるからこそ

 

 

 

ときどき、カウンセリングで「宿題」を出させていただきます。

 

 

 

やる・やらないは、自由でお任せなのですが。

 

 

 

そのひとつに、「いいこと探し」、「よかったこと探し」というものがあります。

 

 

 

「〇〇がおいしかった」

 

 

 

「〇〇ができてよかった」

 

 

 

「〇〇ということに気づけた」

 

 

 

「〇〇に感謝」

 

 

「」内は、もう少し長くなってもかまいません。

 

 

 

つまり、

 

 

気づきがあった。

 

 

新しい発見があった。

 

 

面白かった。

 

 

色々なよかったことや感謝することを書いてほしいのです。

 

 

 

エーリッヒ・フロムの作品に、The art of loving (愛するということ)という本があります。

 

 

 

直訳すると、「愛する技術」ということになります。

 

 

 

その内容は、愛は感情ではなく、また単なるテクニックや気の利いた一言ではない。

 

 

 

愛とは意思や行動であって、生涯にわたって愛する技術を学んで磨いていくものである。

 

 

 

そんな内容だったと思います。

 

 

 

The art of gratitude.

 

 

The art of finding goodness.

 

 

 

「いいこと探し」とは、「感謝の技術」、「いいことを探す技術」と言い換えることができるのかもしれません。

 

 

 

こんなことをして、メモまでして、何の意味があるのか。

 

 

 

一見すると、意味のない、ばかばかしいと思うかもしれません。

 

 

 

成田(2023)では、「肝心なのは、本心からそう思えということではなく、そういう考えもあるかもと、親御さんが思いつくだけでOKです。」とあります。

 

 

 

見方を変えるということですね。

 

 

 

損している、マイナスのことでも、別の視点や角度から見てみることが大切なようです。

 

 

 

五木(1994)では、「あまり大きなよろこびだけをみつけようとするから戸惑うのだとわかってきたのです」

 

 

 

さらには、「その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある」

 

 

 

「よろこぶ、というのも一つの習慣なんじゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです」と書いています。

 

 

 

心理学では、情動の体験と身体的変化について、ジェームズとランゲは抹消説を唱えました。

 

 

 

「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」ということですね。

 

 

 

誤解を恐れずに言うと、「嬉しいからよろこぶのではない、よろこぶから嬉しいのだ」と言えるのかもしれません。

 

 

 

かつては、こんな暗い世の中で喜べるようなことなんかない。

 

 

 

暗い世の中で、私は喜んでいいものだろうか。

 

 

 

そんなふうに思っていました。

 

 

 

しかしながら、人生は暗く哀しくそして有限であるならば、一瞬の出来事や小さな発見に、よろこびを見出すことを自分に許すことが必要なのかもしれません。

 

 

 

小さなよろこびを見つけることは、権利であり、工夫であり、勇気であり、切ないユーモアでもあるのですから。

 

 

 

 

 

参考文献

・五木寛之(1994) 生きるヒント1 ー自分の人生を愛するための12章ー 角川文庫

・成田奈緒子(2023) 高学歴親という病 講談社+α新書