理解しようとせずに愛する

 

通常、 

 

理解することは、相手を知ることであり、

 

愛することの一歩であると思われています。

 

 

 

確かに、理解することは大事です。

  

 

 

でも、理解しようとする時に

 

自分の方法で理解しようとしていないか

 

振り返ってみてください。

 

 

 

理解しようとして、

 

理屈で突き詰めたり、

 

質問攻めにしたりすると、

 

逆効果。 

 

相手は自分を出してくれなくなります。 

 

そうなると、

 

理解しように理解できません。

 

 

 

人は責められたり、

 

攻撃されると、

 

うそをついたり

 

関わろうとしなくなってしまうのです。

 

 

 

例えば、

 

親「今日のテストどうだった?」

 

子「60点だった」

 

親「なんでそんな低い点数なの?  

 

ちゃんと勉強したの?

 

だいたい、いつもあなたは〇〇で、、、(以下省略)」

  

 

 

すると、 

 

子どもは、テストが返ってきても、

 

「満点だったけどテスト用紙なくした」と 

 

ウソをついたり、

 

テストを見せずに隠すようになるでしょう。

 

 

 

 

だまされていると 

 

思うかもしれません。

  

都合のいいように利用されると 

 

思うかもしれません。

  

 

 

言われたままにしておくと、 

 

負けたと思って、 

 

悔しいかもしれません。

 

 

 

それでも、 

 

だまされたふりをしてみてください。

 

利用されたふりをしてみてください。

 

 

 

もちろん、それがもし

 

重大なことなら、

 

ちゃんとする必要があり、

 

しなければなりません。

 

 

 

でも、さほど重大でなければ、

 

「スルー」してあげて欲しいのです。

 

同じ土俵で戦わないことをオススメします。

 

 

なぜなら、

 

事実を理解することと

 

気持ちを理解することとは

 

違うからです。

 

 

 

 

なぜ、 

 

嘘をつかれたり

 

隠されたりするのか。

 

 

それは

 

あなたがしっかりした人であると

 

思われているからです。

  

 

本人も

 

悪いとわかっています。 

 

 

 

その上で、

 

責められるんじゃないか、

 

怒られるんじゃないかと

 

不安なのです。

 

 

 

自分で悪いとわかっていて、

 

せっかく言ったのに、責められる。

 

 

 

こんなダブルパンチの繰り返しは、

 

職場でもつらいです。

 

 

 

さらに、

 

家庭や友人関係でも起こると

 

逃げ場がなくなってしまいます。

  

 

 

これが理解しようとせずに

 

受け入れることの意味です。

 

  

それじゃあ、 

 

ずっと負けっぱなしじゃないか、 

 

譲って、損して、いいことないじゃないか、 

 

そう思うかもしれません。 

 

 

 

でも、でも、

 

いざというときに頼られますし、

 

相手にとって

 

「この人ならわかってくれる」 

 

という、こころのよりどころに

 

なっているはずです。

 

 

 

 

 

それでもストレスが溜まって

 

しまう場合は、相手へ直接ではなく

 

カウン・・・(以下省略)

 

宣伝はしません(笑)。

 

 

 

 

それでは

 

また次回のメルマガで。