待つ自分を愛する

 

 

携帯やスマホですぐに

 

友達と連絡を取り合ったり、

 

わからないことをすぐに調べたり

 

できるようになり、

 

とても便利になりました。

 

 

 

「待つ」ということが

 

だんだん少なくなってきた

 

ような気がします。

 

 

 

 

文通をしていた頃、地方の文通相手からの返事を

 

一ヶ月待ったことがありました。

 

 

 

インド旅行の時は、

 

列車が5時間も遅れたことがありました。

 

 

 

結核で入院した時は、

 

4ヶ月隔離入院でした。

 

 

 

昔ならば、

 

何日もかけて飛脚(!)が手紙を届けました。

 

盗賊に会ったら、届かなかったことでしょう。

 

 

 

鉄道が開発される前は、

 

歩いたり、馬で移動していたことでしょう。

 

 

 

結核なんて、

 

待っても治る病気ではなかったのです。

 

特効薬ができるのを待っていたくらいです。

 

 

 

 

 

待たないことが良しとされる

 

現代の世の中です。

 

 

 

そして、

 

変化の多い今の時代です。

 

 

 

変化に対応することを

 

求められているように思います。

 

それもすぐに。

 

 

 

何かに追われるように

 

あせっています。

 

 

 

待つことの価値って何でしょうか。

 

 

 

待っている時間に、隣り合わで出会った人と語る

 

待っても期待通りにならなかった時の落胆を噛み締める

 

待つ間に、相手への思いを巡らす、想像する。

 

待った甲斐があった時の嬉しさを感じる、思い出。

 

 

 

科学技術がどれだけ発達しても、

 

私たちは、

 

当たり前の、変わりない日常を

 

過ごしていくのかもしれません。

 

 

 

答えのないこと

 

答えを出すのに時間がかかること

 

実はたくさんあります。

 

 

 

わからないことを、わからないままに

 

心に秘めて何もしない

 

というのは、

 

決してあきらめや怠慢ではない

 

と思います。

 

 

 

 

これも、

 

急がば回れ

 

なのかもしれません。

 

 

 

待つことは、ポジティブなことです。

 

 

 

なぜなら、

 

待つことには、希望が必要だからです。

  

 

 

  

希望を持って待つ

 

これは偉大なことではないでしょうか。