わかってほしいと思うと孤独を感じる

相手とわかり合えると

嬉しいですよね。

「共感」とか「通じ合う」とか。

 

私たちは、

人は自分のことをわかってくれる

ものと思い込みがちです。

 

あるいは期待しています。

 

わかってくれて当然。

 

話せば、説明すれば、きっと。。。

 

ところが本当にそうでしょうか?

 

もちろん、

わかってくれるときもあります。

 

ここで考えてみたいのは、

わかってくれない相手のことではなく、

わかるように説明できない自分の能力のこと

でもありません。

 

こんな言葉を考えてみましょう。

 

折り合う

補い合う

支え合う

寄り添う

 

これらの言葉は

理解や一致を前提にしていないことに

気づくでしょうか?

 

私たちは

他人とは完全には一致できないからこそ、

寄り添うのかもしれません。

 

そんな関係がずっと続いたならば、

そんなつながりこそが

「分かり合えた」と言えるのかもしれません。

 

職場で

「どうしてわかってくないの?」

という出来事があったら、

相手を理解してあげましょう。

 

私のことをわかってくれれば、

あなたのことをわかってあげると

いう取引にならないように。

 

徳を積む気持ちで、

見えないところで気にかけたり、

サポートしたり。

 

そのうちきっと相手は気がつくはずです。

自分がどうするかを決めていれば、

相手の出方は気にならなくなります。

 

お試しあれ。